苧麻から織物へ・衣の自給を想う

こんにちは。

神奈川・相模原の里山(相模湖)で自然農を営む「すどう農園」です。

苧麻(ちょま)の茂る季節です。

これは里山の道端にはお馴染みのメンバー。

ヤギでも飼えば恰好の餌になりますが、苧麻は宿根性なので一度畑に生えると厄介ですね。

しかし苧麻は、繊維植物として非常に上質なものです。

越後上布や琉球の宮古上布などは、この苧麻から採った糸で布を織り、深々とした色合いの作品になるわけです。どちらも非常に高価ですが、実際に作る過程を知れば、それでも利益がそんなに出るものではないこと、それゆえに後継者がいない、というのが垣間見えます。
これは苧麻に限ったことではなくて、手仕事はどの分野も後継者がいない。
一流のプロフェッショナルでなくとも、民藝の一部として、日常生活の中でこうした工芸作物を生かしていく文化が、細く長く根付くといいのですが。

今では里山の荒廃の象徴みたいに茂っています。
でも、むき出しの地べたよりも温度は確実に低くなるし、つまり二酸化炭素を固定してくれるわけですから、今後は、こういう視点で、草木類を見直すべきですね。

上布を織るのも大変な作業ですが、それ以前に、まずは刈り取った苧麻から糸を取り出す下作業「糸績(う)み」が非常に大変らしい。

3枚目と4枚目は糸績みの様子です。

刈り取った苧麻から、タカラガイで、こそぐようにして繊維質を採りだす。そしてさらに手間をかけて糸にするという、気の遠くなる作業です。

当たり前のことですが、糸がないと布は織れません。
しかし、この縁の下の糸績み作業を志す人が少ないのだそうです。
ものづくりは、無数の作業の連環ですから、どこか一つでもかけてしまうと維持は難しい。

それゆえに昔から権力者は、ほぼ強制的に人民を囲い込むようにして衣類を作らせたのでしょう。
宮古島の資料館に行くと、当時の琉球政府、のちの薩摩藩などから、過酷な搾取をされていた様子が展示されています。しかし現代でも、ファストファッションの陰には、児童労働も含む過酷な労働者の現状があるようです。

そこから翻って思いますに、大英帝国からの独立を訴えたガンジーが、大行進にあたって自ら糸車を回し「自分で織ったクルタを着て行進に参加しよう」と呼び掛けたのは象徴的です。

最後の写真はオマケw

宮古島にいた頃のわたくしです。

若かったね。

「さとやま農学校の現地見学会2026」

9月から再開します。
受講生の皆さんの話も聞けますよ。
今年こそ一歩を踏みだそう。
と、お考えの皆さん。どうぞおいでください。

(すどう農園・須藤章)

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