あきたこまちの放射線育種

講座・イベント

いつかの最期はこの遠野で土に還りたいと思いながらの朝と夜、身にまとうもの一切から解放された裸族の馬たちに何を通じたのかと今帰ってきて思い返すこと、自分がこの馬たちのような境地に達するのはいずれ土に還ってそれからまた何かに再生するまでのひとときなのかもしれない。

生きている自分とそうでない物事のあいだを巡る輪郭のぼやけた気配に漂いながらも沈まない心地はナマモノだから新幹線に乗った途端に溶けて消えるかもしれないと、目を閉じながら国分寺カフェスローに戻って、夜の印鑰(いんやく)智哉さん(OKシードプロジェクト代表)をお招きしての講座「どうなるの?私たちのお米」は、乾坤一擲の気迫の込もったお話でした。印鑰さんとはお互いに海外協力の仕事に身を置いていた昔のご縁があって、歳月を長く隔てての再会。

大きな物語を語る人がいなくなったねえ、と打ち合わせの中でぽつりと印鑰さんはおっしゃった。
共通してお世話になったオルタートレードジャパンの創設者・故堀田正彦さんは、日本で初めて無農薬栽培のバナナの輸入を民衆交易として実現された方だったけれど、それはそれは「大きな話」をされる方で、それだけ夢を見るチカラのある人だったし、その夢に寄せられて多くの人が動いた。「お前たちも夢を見て夢を語れ」と事あるごとに言われたけれども、なかなか真似のできないことだった。そうして印鑰さんのお話は前回の「、街ではじめる大地の再生」と表裏一体の、汚染された大地の歴史にかかわる話。逆の意味で「大きな話」でした。

メイントピックだった「あきたこまちの放射線育種」については、のちほど講演の文字起こし原稿を上梓するので詳細は措きます。ひとつ要点を挙げるならば、明治以来とりわけアメリカとの戦争で資源を絶たれた日本は全国に鉱山を開発し、利用されない鉱さい(農業で言えば残渣のようなもの)が水脈に流れて平野にいきわたってしまった。「大地の再生」と表裏一体というのは、その意味です。秋田も鉱山が多い。流れ出した重金属の蓄積は、国際基準を上回る汚染度の場所もある。そこでカドミウムを吸わないように重イオンビームを特定の遺伝子にあてて狙い撃ちし、カドミウムを吸収しないようにした新品種、というのが大きな流れです。そう書くと良いことづくめに思えるけれど、一つの遺伝子は他にも複数のタスクを担っているし、その中には未知の分野が多い。建物のレンガを「一つくらいなら外してよかろう」と抜き取るようなものだ。「予防原則」を無視した野蛮な作法。なぜ「あきたこまち」の放射線育種なのか?という合点はいったけれど、事の根は左様に深い。この国が明治以来の百数十年で何をしてきたのか、何を考えてきたのか、あるいは考えてこなかったのか、歴史を踏まえてから考えることなのだ。一人一人が大きな話を語らなくなると、歴史という大きな話にも向き合えなくなるのかな?いまあらためて、大きな物語を取り返そうと思った。印鑰さんを囲む場は、来年もカフェスローで続けます。オンラインやSNSでも積極的に情報を発信していますので、どうぞOKシードプロジェクトのサポーターになってください。無料ではもったいないほどの情報量です。

来年に向けての準備として「さとやま農学校2024」の説明会もあります。
週末の説明会は満員になりやすいので早めにご予約ください。

さとやま農学校2024説明会

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