イノシシに見る自然の整えるチカラ

自然農&里山暮らし

近くの畑をイノシシが掘っています。
ここに限らず里山のあちらこちらがイノシシの掘り返しだらけですが、最近は都市部にもイノシシが徘徊するようになったらしいですね。私の住んでいた千葉の都市部でもイノシシが出て人を噛むケガがあったそうですが、大型の狩猟犬が逆に噛まれて重傷を負う程、イノシシは怖い動物です。ブタの仲間ぐらいに侮ってはいけません。

さてこの現場ですが、知らない人が見たら耕運機をかけたのかと思うくらい、端から端までローラーをかけたように掘っています。ところが右側の草が生えているエリアは掘られていません。なぜ?


まずイノシシの修正として、地面が剥き出しになっているところを掘る習性がある、と言われます。
そのことの意味を、もう少し根本から考えましょう。
そもそも「剥き出しの地面」というのは自然界にはありません。
自然界では、地面には必ず植物が生えているか、あるいは植物が枯れたあとの落ち葉や枯草といった有機物で覆われています。これがいわば大地の薄皮、例えるなら人間の皮膚にあたる大事な部分です。


野菜を栽培するという行為は、一般的にはこの薄皮の表土層を剥がして人工的な不毛の場所にしたうえで作物を育てる人為です。地表に共生していた様々な生き物は住処を奪われて、ミミズは地下に潜り、虫たちは別の場所へ移動し、鳥もハチも居場所がなくなる。
このような不毛の地に生えてくる植物は、パイオニアプラントと呼ばれるメンバーで、空き地に真っ先に生えてくる面々です。たとえばギシギシ(タデ科)などは地中に根塊があるので、表面を刈られてもすぐに生えてきます。それまでの競争相手がいないから楽勝ですね。それでギシギシばかりがはびこることにもなります。色々な草の生えている場所ではギシギシも調和しているのですが、耕してしまうと、そのあとはギシギシの一人勝ちになってしまうのです。これが問題。ギシギシばかり増えることで、その強い根が地中に密集して目詰まりを起こす。竹やぶに近い感じになります。ギシギシのような多年生の根が増えすぎると、どうしようもなく厄介です。これはしばしば自然農、不耕起栽培の初心者が失敗するパターンですね。ですから「一切耕さない」などと頭から決めつけてはいけません。耕すべき時は耕したほうがいい。その辺の勘所は初心者にはわからないものですから「さとやま農学校」でも何度も説明しています。

その目詰まりを、イノシシはある意味「整えて」いるように思えるのです。自然界には自らを整えていく動きがあります。それはイノシシの振る舞いひとつにも伺えることです。自然農は、このような自然の流れに身をゆだねて野菜も作らせていただくという姿勢です。同じオーガニックでも有機栽培などは、堆厩肥(たいきゅうひ)を作って醗酵させて土に漉き込むなどして、さらに人間の側から積極的に自然界にかかわります。その違いは大きいですね。

さてそうなると、いつも思うのですが、これほど増えて地球のバランスを崩している人間という存在を「だいぶ地球もバランスが崩れてきたから整えよう」ということにならないのでしょうか?
どうして人間ばかりがこんなに一人勝ちできているのか、それが分からないのです。
それとも長い地球の歴史で観れば、例えば数億年も続いた恐竜の時代に比べても、たかだか500万年足らずの人類の栄耀栄華とは、ゼロに等しい、瞬くほどの時間なのかもしれませんね。

さとやま農学校2024説明会が今月から始まります

自給のための自然農を学ぶ・さとやま農学校」では座学はありません。自然界がなによりの先生ですから、五感を開いてゆっくり土や風や生き物たちと触れ合っていただきます。合間の休憩時間では、気の合う皆さんとご縁もできます。そうした横のつながりはなかなか得難い貴重なネットワークです。今月から始まる「さとやま農学校2024説明会」にどうぞお越しください。

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