頭と体は自分のために使う~2026初頭

謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

冒頭は初日の出を控えた相模湖です。
この風景を眺めてもう30年になろうとしています。

♪おもえばいと疾(と)し

と卒業式で歌った歌詞が、あの頃よりもいっそう身に沁みます。

本当に、本当に、月日は早い。

それほど、アッと言う間の時間ではありますが(まだ過去形にしたくはないので現在進行形で)、都会で田舎暮らしを夢見ていた頃にできなかったことが、ずいぶんできました。
もちろん人生いろいろあるわけですが、それでも本当に、田舎暮らしをして良かった。

なによりも、玄関を出た瞬間から、心身が外界と一体化する感覚。
生きている、と実感します。
30年もたつのに、いまだにこの感覚が新鮮なのですね。
昨日移住してきたみたいで、我ながら可笑しなことと思います。

言いたいことはつまり、人生の前半30年近く、さらに絞りこめば生まれて15年くらいの期間に、自然と結びついた暮らしをしているかどうかが大事だということです。
私の場合には30歳前後で東京を出た、だから身体感覚の最も深い部分に都会モードがあるのでしょう。生まれてずっと農村にいる年配の方とは、根本的にどこかが違うのだと思います。

それは一面で、いまやっているような「さとやま農学校」などの場所づくりを、都会の人の気持ちになって企画することにつながります。都会の言葉も農村の言葉もそれぞれに分かるという点では一種のバイリンガル(?)みたいなものでしょうか。

そして新年を迎えて、ことさら特別な気持ちは特にありません。
できることをやる。
まったく、それだけです。

「ただサイの角のように歩め」

これはブッダの言葉です。
昼なお暗い森の奥を深々と、角を立てていくサイの姿を想像します。
静かに、しかし不断に歩む姿。
けれどもその道行は、修行僧のような厳しいものではありません。
わが道を行くからこその無我な境地。

できることをやる、というのはそういうことです。

自然農を学ぶ・さとやま農学校

いま人類は農業文明の時代から工業文明の時代を経てさらに情報文明の時代に入りました。
地上に在る実体もすべて「情報」に置き換えられて処理されることになりかねません。
それは食の世界も同じことです。
今や人間も含めて、生命そのものをゲノムなどの情報として処理してしまう。
それが文明である、と。
そういう時代を迎えています。

遺伝子組み換えやゲノム編集などに取り組む研究者や企業のうち、実際の土や作物を体感している人がどれでかいることでしょうか。そんな泥臭いこと、と鼻で嗤うようかもしれません。
しかし、情報文明がどれほど進もうと、ナマモノはナマモノです。
生活の隅々にまで人工知能が遍く時代になりました。
しかし、人工知能には身体がありません。
土がどんなニオイをするか、土を踏んだらどんな気持ちになるか。
それは人口知能には分からない。
体験ができないからですね。
だからこそ、人間は今まで以上に、自分の身体で感じることが大事なのです。

私は1963年つまり前回の東京オリンピックの前年に東京の下町に生まれました。
この辺りはnoteに書いています。

★高度成長期の下町生まれが里山の自然農にたどり着くまで 
https://note.com/sudofarm888/n/n10653a586ee8

あらかじめ失われたつながりを戻すために農という場を選びました。
これからは私以上に、つながりを「あらかじめ失った人」が増えてくるでしょう。
その失われたつながりを取り戻す場を、これからも続けていきたいと思っています。

「さとやま農学校」の見学会を2月まで開催します。

駐車場・送迎あります。

どうぞおいでください。



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