自然農とは何か
自然農とは何か?
という基本的な話を、いつも「さとやま農学校」の皆さんにしています。
これが分かっていないと、ことさらに「ナニナニ農法」のような手法に走ってしまいがちだからです。
今のYoutubeなどの動画でも「これなら簡単に野菜ができる」みたいな感じで自然農が紹介されていることもあり、さすがに変な感じがします。どこに重きを置いているのでしょうか?
もちろん手法も大事です。
しかしその前に基盤となる想いがないと、それは農に限らず、どこか変な方向に流れてしまう。
パーマカルチャーも大地の再生も、はじめにしっかり考え方を確認するのも、そのためでしょう。
大事なことと思います。
風土から自然農を考える
まず、この日本列島の形から考えていきましょう。
地形というのはとても大事なんです。
ご存知のように、日本列島は中央部に背骨のように山が盛り上がっています。
奄美大島から南に連なる琉球弧も、海から盛り上がった陸地の連なりです。
この列島の地形は、中国やアメリカのような大陸とは違うし、あるいは朝鮮半島とも全然違う、日本独自の形です。この盛り上がった山に、偏西風が西から当たります。風上は中国大陸、もうちょっと言うとチベット高原。これが大きな岩の塊です。
岩は、暑くなりやすく冷めやすい。森がないから猶更ですね。気温の変化が大きい。だから風の動きも変わりやすい。そうして荒ぶれた風が日本列島の背骨に当たって雨や雪を降らせます。山に雨が当たるので、列島は急峻な川も多く水も多い。
日本の水脈図というのがインターネットにありますから見てみてください。
まるでこの日本の水脈。表面を流れる川もあれば、あるいは地下を流れる地下水脈もあります。それらをマッピングしてみると、まるで私たちの血管、毛細血管そっくりなんです。
このことは「大地の再生」の講座で教わって、なるほどなあと驚きました。
日本列島は、至る所にまで水が来ている。残念なことに都会だと多くの河川に蓋をしています。ところが、本当は水があるんです。これほど、隅々まで水が通っている国も珍しいでしょう。その水が平野部を潤す。しかし、その平野部というのは狭い。何しろ日本は7割から8割が山です。少ない平野に豊かな水が集まるということで、人間も必然的に集まってきます。
このように日本列島は山と平野のコントラストがはっきりした国土なのです。
今でも関東平野だけで、いわゆる首都圏に3000万人、つまり日本列島の人間の4人に1人がこれだけの場所に集中しているわけです。若い人はもっと集中しているでしょう。ここまで極端な場所は同規模の者を探しても他におそらくないことでしょう。
いびつなんです。
ですから、首都圏のあり方がスタンダードだと思ってはいけない。
こんな狭い空間にこれほどの人間が集まっているということが地理的にも歴史的にも例がない。
しかし、普段そのことを、どれだけ「偏っている」と感じるでしょうか。
不動産価格で分かるように、むしろ中心になるほど価値が高いとされます。
人間というのは住んでいる環境を基準にしがちです。
森に住んでいれば森が基準になる。海を往来していれば海が物差しになる。
そして平野に住んでいれば平野が物差し、基準です。
この平野の話は、いったんおいておきます。
もうひとつ大事な物差しとして「時間」を考えましょう。
時間の物差しというのを考えてください。歴史年表というものを習いましたね。
どの時代に何が起きたか書いてあります。
ところが、あの年表に書いてある出来事におおむね共通していることがあります。
何だか分かりますか?
それは、年表に書かれていることのほとんどが平野の出来事なんです。
代表が戦争や権力の交代ですね。
ですから歴史とは、言い換えれば平野を書き記すための物差しとも言えます。
いつだったか、農学校の人がポツンと冗談っぽく言ったのが「まあ、こういう場所には歴史などないですね」とおっしゃいました。
そうです。
だって、歴史というのはだいたい、戦争や何やらの非日常の記述です。その多くは平野か海の上の出来事です。山の中で争っても勝ち負けはつきません。白黒はっきりしない。それよりも平野で何が起きたか、それがつまり歴史なんです。ここからだんだん農業の話に進んでいきます。
ことほど左様に、平野というのは分かりやすい。そして測定可能なんです。
どこからどこまで何メートルあるか。広さどれくらいあるか、歩けば何分かかるか。などなど全部、計測できます。
もちろん山も広さは測れますが、しかしデコボコしてますね。
例えば山が1万坪あると言っても、平野の1万坪とは全く意味が違います。
だから、測りようがないんです。
私の好きな言葉で言えば「とりとめがない」
区切りようがない、きっぱり計れない。そういう世界。
ところが平野の1万坪は1万坪だ。
計測できるから、その価値が出しやすいんですね。
大昔もそれは同じでした。
ある1万坪の場所に米や麦を作らせれば、どれぐらい収穫があって、どれぐらい税金、つまり年貢が取れるかというような計算がすぐできるんです。
そしてその年貢をもとに資本が蓄積されます。
その蓄積つまり「富」も経験からだいたい予想できるでしょう。
これが資本主義の始まりです。
つまり、平野では文明社会が作れるんです。
ですから、世界4大文明、つまりチグルス、ユーフラテス川、インダス、エジプト、そしてヨースコ、この4つの文明、すべて平野ですよね。大きな川のほとり、平野があって水がある。
歴史を習った時も、まず4大文明というのを教わりました。
この4大文明から世界が始まっているかのような印象を無意識に刷り込んでしまいました。
そうではなくて、先ほどの話を繰り返すなら、
「平野で文明が発祥してからの流れ」を記述したものが「学校で習う歴史」だったのです。
まるで、それ以外に世界はないかのような。
平野に起きたものを文明は、外に広がっていく、伝わっていくことができます。
これが文明の、大きな特質です。
普遍性を持っているわけです。
いっぽうで、山の中の暮らし方とか、そこで行われていることというのは、遠くに伝わりにくい、固有のものです。
こちらを、文化と言いますね。
もちろん平野にも文化はあるでしょう。ただそれは時間が経つと文明となって広がっていく可能性もあります。固有の風土で生まれたがゆえに、外に広がるよりも深く世代を超えて伝えられていくものを文化と言います。そして里山というのは、このような文化の積み重なり、伝承の上に生きてきたという言い方もできますね。いいですか。文化が遅れていて文明が進んでいるということではありません。
普遍性をもって同時代に広がっていくものが文明。時代とともに変わります。その変化は、時に「文明の進歩」ともいう。
いっぽう風土の中で固有性をもって時代を越えて息づいていくものが文化というふうに大きく考えてください。「文化の進歩」とは言いませんね。
過去数先年から一万年近く行われてきた農業は、米やムギに代表されるような「文明」の第一段階です。アルビン・トフラーという学者が「第三の波」という著作で記したように、文明の第一の波は農業でした。第二の波が工業で、第三の波が情報です。
農業は、しかし文明としての面もありながら、一方で自然農のような固有の風土の中で受け継がれてくる「文化」でもあったのです。ただし、そうした文化としての農は失われつつあります。
さとやま農学校では「風土の中で生きる文化」の復権として自然農を学びます。
3 文化・文明と自然農
文明と文化の違い、ここまでお分かりいただけましたか。
農業というのは、その多くが平野で生まれました。つまり文明です。
お米や麦、まさにこれ文明ですね。
ところが「さとやま農学校」で学ぶ自然農というものは、固有の風土の中に「野菜も作らせてもらう」という立ち位置です。
平野の米作りや麦のように、とにかく大規模に拡大するものではない。
同じものをたくさん作る、早く作る、品質を揃えるということとは違う。
そのためには野菜を育てる畑が、どんな風土の中で生きているか、それがわかっていなければいけない。自然農は文明にはなりにくい。むしろ文化に属するものだと思ってください。
都会には風土なんてないよ、と思いますか?
大都会の真っ只中でも季節の変わり目であったり、あるいは風の吹き方、水の流れ方というものを身に染みて感じるのが大事なのですね。
野菜作りを文明的な視点で考えると、何かを揃えて資材をインプットして収穫を得るという発想が優先する。もちろん、それが悪いとは言いません。収穫は何よりの目的です。
ただし、ここの農学校に来る皆さんの多くは、プラスアルファ、その背景にあるものとつながりたい。その気持ちが意識的にあるいは無意識のうちにある。そうじゃないでしょうか。
では、穀物の話に進んでいきましょう。
やっぱり穀物というものは大事ですね。
なぜなら、穀物は蓄えることができるからです。加工もできます。
例えば同じ主食でも、里芋だったらどうでしょうか。
世界4大主食というのがあって、米、麦、そして3番目がアメリカ大陸のトウモロコシ、そして4番目が南太平洋の里芋の仲間なんです。
ところが4番目だけ、里芋は蓄えられません。作るのは簡単です。でも、サトイモばかり作ってしまったら、貯えになりません。貯えとは=富・資本です。社会経済の基盤にならないのです。
そういう視点で見ると、琉球弧からさらに南の方、インドネシアなどに向かっての島々は、かつては小さな国々からなる分散型、移動型の社会でした。それぞれには統治者もいるのですが、この王様が嫌だなと思ったら民は逃げてしまう。そして別のところでまた芋を掘って作っていくというような形です。いま流行している言葉でノーマッドという言い方をしますね。牧民的な、縛られない暮らし。まあ有牧民はどちらかというと北の方ですが、ちょっと似てますね。俗に南船北馬といいますが、南の人たちは移動に船を使い、どこかに行ってしまうわけです。でもそんな自由をやられると大きな国が作れない。
しかし今の経済人類学的な研究では、世界中で米や麦を作るようになった背景には、美味しいという以上に、その背景には、米や麦を作らせておけば支配しやすいということがあるようです。その意味では大豆もそうですね。大豆は中国東北部の、非常にローカルな作物でした。今や家畜の餌や燃料として、戦略的な資源作物として大規模に作られています。
なんにせよ。
山の中でサトイモを作っているような人たちは支配しにくいんです。
生産性も低いから。国家としての蓄積も少ない。そういう人間は放っておいて、ますます世界は平野に人間も富も集中する。平野というのは、大事なことなので繰り返しますが、物差しで測れる。時間も測れる。そうして蓄積された富というものも予測できるし計測できる。そうして今ではお金という形に還元されて利殖つまり価値が増えるものとなりました。
すべては平野の成り行きです。
そして近代的な大規模農業とは、文明の基本です。
時間あたりあるいは一人あたりの生産量がどれくらいかを計測し、あるいは予想する。まあ余談までに言っておきますが、今日本の農業って非常に効率がひどいです。時給50円とかそんなレベルですからね。まあそれでみんな辞めちゃうわけですが、そういうふうに時間あたりいくらいくら、面積あたりいくらいくらと考えていくと、その物差しにはまらないものあるいは劣ったものは排除されていきます。あるいは優劣がつけられる。
ところが、そう考えるときに、規格が揃わない、合理的でないものの一番が人間という存在じゃないですか。物事を合理的に考えるほど、今度は自分たち人間が物差しをあてにくい。でも、そんな人間も含めて排除していくというのが実は平野の宿命だと思います。
では平野がいけないのか、というと違います。
どうしてこういう物差しが出てきたのか、それだけ意識をしてください。
やっぱり地形というものは大事なんです。
平地と里山のどちらが良い悪いではありません。
大事なことは物差しを複数持っておくということです。
私たち農家は、とくに自然農では新暦と旧暦の両方を使います。
旧暦はいわゆる月のリズムですから、毎月は新月で始まります。物差しが複数あると楽なんです。時間の尺度も、野菜だと3ヶ月とか、長くて麦がせいぜい8か月ぐらい、それ以外は本当に半年足ら図です。ところが、果樹になると今度は5年10年20年といったサイクルで考えるようになります。さらにもっと長い範囲というのが杉やヒノキ。これは50年,苗木を植えてから50年かけて育てるそういう寿命で考えます。
英語で俗に、Pay forward。このタイトルは映画にもありましたね。大変なことは自分の代で引き受ける。それで未来の人たちに先贈りをしようということです。野菜やお米だって、イキナリでいるわけではない。その地域を長い歳月駆けて風土を育ててくるわけです。つまり文化だ。これも「今だけ」の物差しでは測れない。こういった様々な物差しをみんなで共有できるといいなと思う。そこがまた里山の面白いところなんです。なかなか農学校に1年いるだけだと伝えきれないのですが、そんなわけで皆さんもぜひ、よろしければ里山に越してきてください。じゃあ、今日の話はここで終わります。
以上の話は「自然農を学ぶ・さとやま農学校」の皆さんに話した内容をもとにしています。
「自然農のお試し体験と説明会」は、随時開催しています。
2025年も4月までの予定が決まっています。
上に書いたような基本を踏まえて、土を踏んでみましょう。
この先は私たち人類にとって「待ったなし」の時代になってきました。
悲観も楽観もなく、手を動かしていきましょう。
それが何より無理なく楽しいことです。
どうぞ一度おいでください。