すどう農園のプロフィール

「すどう農園」は神奈川県の相模原市(旧相模湖町)で自然農を営んでいます。およそ1haほどの農地と加工場があって、3つの柱で活動しています。
HPは www.sudofarm.net

①森の落ち葉や緑肥で野菜や果樹・ハーブを育てる自然農。
農薬も化学肥料も除草剤も、さらに動物性の厩肥も一切使いません。里山にあるものを活かし、生かされ、自然の巡る流れに沿って人が動く。無理なことも無駄なこともしない農業です。
動物性の厩肥を使わない理由:
日本の現状では家畜の餌(飼料)のほとんどが輸入品によること。それらのほぼすべては遺伝子組み換えのトウモロコシや大豆です。しかも家畜のほとんどは過剰な薬漬けです。動物の厩肥に対する残留薬剤などの検査は、ほぼありません。逆に言えば、こうした厩肥を使っていても有機JAS認証を受けられます。
自給のための自然農では、安全性への理由と輸入に頼った畜産の厩肥を使うことはしません。


そして野菜は、農園に来てくださる皆さんとシェア。もしくは「こども食堂」などへの無料で提供しています。色々考えたことなのですが、野菜を作る手間を、逆にお金で換算したくない、そんな気持ちになってきたからです。ここまで至るには時間がかかりました。
いっぽう、フレッシュハーブは様々な種類があります。これについては、実際に農園に来てお手伝いしてくださる方に会員制でシェアする形にしようと企画中です。土に触れ鵜中でやっと収穫した喜びを共有していただきたいからです。

② 自給のための自然農を学ぶ講座
「さとやま農学校」では、まったく初心者の方に、自然農の豊かさ・楽しさをお伝えしています。
自然農は愉しいというのがまずは大事な原点です。
そして非常に差し迫った状況として私たちの目先の課題として自給が必要になってきました。
・国際レベルでの要因 戦争・コロナ・円安→輸入に頼る生活の終焉
・外的レベルでの要因 気候変動で大きく変わった食料生産→大規模農業では無理
・内的要因 除草剤の使用は維持。遺伝子組み換え・ゲノム編集食品の表示も不透明に
・社会的要因 格差の増大 経済事情で十分な食事ができない。かつての南北問題が日本にある。

こうした畳ky党派どうしても大きな話になってしまいますが、ここでヘタレるのでなく、大事なことなので繰り返しますが、あくまでも楽しく長く続けられるというのが自然農の原点です。ことさらに歯を食いしばる必要はありません。太陽や風や雨の流れの中に、その一部になるように呼吸を合わせて野菜と一緒に育つのです。

里山という場所の意味については旧ブログ「里山という場所の意味」に書きましたので、ご一読ください。
 

③ 無添加の食品加工。
この道30年のベテランスタッフ・淡谷さんと二人三脚です。無添加の加工品(ソース・シロップ・ジャム)を製造しています。各地の作り手の皆さんとの協同作業や、小ロットの委託加工も受託しています。農家さんが一般に加工の委託をする場合、かなり大きなロットでないと作ってもらえないのが実情です。しかも無添加などの注文を付けることも難しいですから、そうした方はどうぞご相談ください。

すどう農園代表・須藤章のプロフィール

東京荒川区という下町で生まれました。
公害が世間を賑わせていた時代に物心がつき、小学校の頃から自然に寄り添う暮らしをしたいと願ったのです。体が病気がちで弱かったせいもあるのでしょう。初心者が自給を学ぶための場所として「さとやま農学校」を主宰している原点もここにあります。

80年代に千葉大学園芸学部で育種学(品種改良など)を学びました。新しい品種は、在来の多様な遺伝子の中から選択淘汰して育てるものであること。つまりは自然界の遺伝的な多様性があってこその新しい品種なのだという基本形を学びました。しかし既にこの頃、世界各地で開発によって、各地に固有の在来種が消えつつあることを知る。なんとか消えゆく野菜・植物を守る生き方ができないものかと思ったわけです。

その一方で旅が大好きでした。主にアジアの見知らぬ街の市場を巡り歩き、雑踏の中で見知らぬ野菜に出会うときは夢見心地でした。あんなに楽しい、心躍る時間は、一生で二度とないでしょう。
見たことのない野菜たち。色も形も多様で個性的な野菜たち。

農薬や化学肥料を前提とした近代農法を教える大学の授業とは別に、農薬も化学肥料も使わない「有機農業」と出会ったのは衝撃的なことでした。これで人生の方向は決まったと言えます。田んぼも畑も山も河も動物も、みんながお互いに繋がって活かしあう世界がここにありました。
埼玉や千葉の有機農家さんを折々に訪ねるなかで、将来をどうしたものかと考える。有機農業をやりたいけれど、農家でない人間が農家になる余地は、いまより遥かに狭かった時代でもありました。あの頃を想うと、今は本当に就農しやすい時代になったと思います。
いっぽうで旅をするほど、海外とのつながりも、もっと深めたいとも悩み・・・卒業後は海外協力団体(NGO)のスタッフとして農業協力に携わりながら自給的農業へ惹かれていくのでした。

しかし、アジアの農村で自立を目指す人たちと東京の生活の往復は、都会での自分の暮らしに矛盾ばかりが感じられて苦しくもありました。自分の暮らしと、アジアの農村や有機農業の現場とのあまりの格差。これは日を重ねるほどに、身をさいなまされる想いです。辛いものでした。
「海外の人のお手伝いよりも、まず自分が自立しないといけない」という想いが日に日に強くなり、かなり自分自身が厳しい精神常態に追い込まれました。東京駅の地下通路で歩くこともできなくなって立ち止まってしまったこともあります。この時期は決して愉しい経験ではありませんでしたが、長い人生の中では、これもまた意味のある経験だったと思います。やはり人は、苦しいことも経て、そこを抜け出たところに、ひとつ新しい境地にたどり着けるのではないでしょうか。

その後は埼玉県小川町での有機農業の研修生になりました。小麦畑を見て、自分の育てた麦でパンを焼きたいと思う。そこから天然酵母パンの草分け「ルヴァン」を経て、石窯のパン屋を神奈川県の旧藤野町(今は相模原市)で開設しました。この石窯を手作りしたことで、ようやく自分が自然界とつながる実感を得たのです。すでに30代になり、決して早いスタートではありませんでしたが、いま振り返れば、それまでの長い道筋にはすべて意味がありました。無駄な時間はなかったといえます。その後、唐突ながら宮古島で介護事業所と農園をやるという濃密な2年間を経て相模湖に戻り、念願の「すどう農園」を設立。

しかし、農業で身を立てるというのは、とりわけ中山間地にあっては簡単なことではありません。少しづつ借りた農地にはどこにも農業用水などなく、山がちなので日照時間も短い、夜はイノシシやシカの動物天国・・・里山ゆえの苦労は数え切れません。それでも、東京に隣接する里山の畑を訪ねてくれる人が年々増えてきたのは嬉しいことでした。大都会の平野とは違う別の世界の魅力は、効率一辺倒の都会の尺度とは違う世界があって、それでいいのだと無言で伝わってくるのでしょう。こうして、里山を楽しんでくださる人たちと一緒に自然農を学ぶ場を作りました。それが「さとやま農学校」です。自然農は、自然界の大きなつながりの中に身を置いて、その中で「野菜も作らせてもらう」というスタンスです。農薬も化学肥料も除草剤も使わないところは有機農業と同じですが、微妙にまたニュアンスが違うのです。自然に対しての姿勢は、有機農業よりもさらに力を抜いた自然体になります。それゆえ生産力は高いとは言えませんがトラクターなど使わずに野菜を作りたい自給菜園の方には自然農が一番と言えるでしょう。

ここまでの道のりは紆余曲折、枝分かれ、行きつ戻りつの迷い道でした。それは今も続いています。
そんなすべてを受け入れてくれる農的世界をありがたく思います。これまでの色々な経験を活かして、都会の人たちに里山の多様性の豊かさや愉しさを伝えていきたいと思っています。具体的な活動内容は「さとやま農学校」をご覧ください 著書に「いまどきの海外協力」(岩波ブックレット)「石窯のつくり方・楽しみ方(農文協)」など。